レッドドラゴンちゃん。自転車屋に行くのを面倒くさがって現実逃避してたら形になりました。
この手の絵は物量が少ないので比較的短時間で形にはなるものの、何をどうみせればいいのかという点で仕上げの段階で非常に迷走してしまう。この絵も最後で色を変えたりグラデーションをやめたり色々してました。最終的には最初に想定していた色合いでGOしたのですが。
常々自分の絵はパンチ力がないと思っているのですが、普段は背景に色々描くことでそのあたりの微妙さをカバーするようバランスをとってる所があるのでこういう要素を絞った絵は何をどうすればいいのか・・・という所で非常に困る。シンプルな構成自体は描くのは好きなんだけども。
明日ちゃんとチャリのパンクなおしにいきます・・・

 

友情パワー+孔雀の羽でめっちゃ飛んでいく葉佩君とリカちゃん。
個人的にリカちゃんのエピソードってかなり好きなんですよね。というのも死を描くから、ていう部分はかなりあるんですけど。
別に死を扱う=いい話だとは微塵も思っていませんが、死って生物の構造上基本的には避けられないものじゃないですか。その避けられないものをただ忌避するのではなく、いつか誰にでもやってくるものとしてどう向き合っていくのかとか、生は限りあるものとしてその限られた時間で何を思いどう生きていくのかとか、そういう事を考える話が好きなんですよね。
個人的に永遠の命とは地獄であり輪廻転生もまあそれなりにきついなと思っているタイプなのでリカパパの行動については恐ろしすぎてヤバイし、ぶっちゃけそんなことしてたからリカちゃんは死に対する免疫力がなかったんだろうなぁと。そうでなくても近しい人の死というのは大体きついものだし。
そうして死というものから逃げ出したリカちゃんが時間はかかったけどきちんと死という概念を認め考えるという事に向き合う話だと自分は思っているので私は3話好きですね。
かまちの話も構造としては近いものがありますが、かまちの場合は死を認めたくない+姉さんをあんな風にした学友への恨みみたいなのも見え隠れするのでちょっとニュアンスは違うかなぁ。かまちに関してはどっちかっていうと許容し受け入れ抱擁していく愛、みたいな話だと思ってる。トーマの心臓をふと思い出すなど・・・久しぶりに読みたいな(脱線)
九龍って基本的には自分の中にある弱さを認められなくてそこから逃げ出した人たちが墓守の使命だからという建前で八つ当たりしてくるのを葉佩君が片っ端からグーパンしていく話だと思っているのですが、弊はばきくんの場合そのグーパンは別に誰かを助けようって意思の乗った熱い拳じゃなくて結果的にそうなった的なアレなんですが。ただそのグーパンが弱さと向き合う切っ掛けになっていたのなら、それはそれで一種の救済と呼んでもいいんじゃないかなぁとは思っています。個人の感想です。