結局また創作絵描いてました。木目描くの面白すぎた。
学校の方でちょっと講師作品として何か持ってきてくださいって言われてるんで連休で創作絵ばっかり描いてたのは、まあ丁度良かったかなと思いつつ。
8月は人物の写真を模写したりなるべくキャラクターを密度高く描こうという方向で練習をしていたので背景をしっかり描く事があんまりない月だったんですけど、今月は全体の設計の仕方や色の勉強のために背景はちょっと意識して描いてて。まあなんていうか圧倒的に気持ちの面でらくというか。楽しいですね。
最近はスマホで絵を見る人が増えたからよりキャラクターに近くて背景の優先度は低めの絵が流行ってるみたいな話を人と夏にしてて、それは最近かなり意識しててキャラクターが大きく描かれている絵は実際好きなんですけど、自分が描いてて面白いのは圧倒的に背景込みのワンシーン的な絵だなというのを改めて感じている所です。スマホ基準だとこういう絵ってもしかしたら見辛いというかパンチ力が下がるのかもしれないんですけど、自分が基本PC閲覧だからその辺はちょっとよくわからない。
流行を追うとかアンテナをそこに寄せていく必要性は感じてはいるのですが、なんていうかそれでも好きなものを描くしかないんだなって思う機会が最近何度かあって。結局それういうのがまわりまわって絵の強さとか魅力みたいなものに繋がるんじゃないかなって。”好き”という感情は強いんですよ、やっぱり。
10年くらい前だったと思うんですけど自分の絵って背景が描いてあるから物珍しさ補正みたいな感じで見てもらえてるだけで、別にキャラクター魅力みたいなものはないし背景抜くと見るに値しない絵を描いてるんだろうなってめちゃくちゃいじけてた事があって、そういう気持ちが払拭できずに抱えてた時間が相当長かったんですよね。
それでも背景のある絵を描くのは好きだったし同時にただの逃げだなと思ってて、結局自分の場合は人に見てもらうためには背景を仕方なく描くしかないんだなみたいな着地をして。それで背景がめっちゃ上手かったらそこで多少自信を持てたのかもしれないけど正直別にそんな上手くないしで。いやまあそれは今もそうなんですけど、なんというか割り切れない辛さというか多分あれは自分でも何を描けばいいのかわかんなくなってたんだと思う。
私が絵を描く行動原理には作業的な楽しさと同時に憧れっていうものが割合的にかなりあって、なんかあのとにかく辛かった時期って今にして思うと人にウケるウケないっていうのを気にし過ぎた結果自分の中の憧れに対してあんまり素直になれなかったとこが多分でかいんですよね。
それは人の絵だったり実在の風景だったり面白かった体験だったり色々なんですけど、基本創作行為ってしんどいものなのでそういう自分の中の感動みたいなものを大事にしないと何をすればいいのかわからないしどんどん嫌になっていく。で、それって多分自分の作る作品の魅力を下げる事に繋がっていくと思うんですよね。
自分の絵を嫌いにならないためにも好きなもの描こうっていうのは思ってる以上に重要な事で、それがあることにより例えば練習するにしても今何が必要なのかとか目標もたてやすくなるし。
というような事をなんか夏からずっと考えている次第です。やっぱ絵描いて反応頂けるのはめちゃくちゃ嬉しくてありがたい事で、実際反応ほしいなーっていうのはいつも思ってることでもあるんですけど、まず自分が潰れないようにしないとどうにもならないよなって。
箱のお返事です
>わんこがかわいいです!!!もふもふしたい…
ありがとうございます!昔家でゴールデン飼ってまして、その子の事を考えながら描いてました。もふもふサラサラでした。