P3Pが終わりました。ので、なんか自然と穏やかなキタローを描いてしまうやつ。
迎える結末は知っているゲームではあったのですが、いい感じに話を忘れている事に加えて主人公の着地地点を知っているので終わりは来るものとして意識してゲームの中で1日1日を生きるという事ができたのは良かったかなと思いました。
以前P3は死ぬ話なんだけど主人公がたどり着いた命の答えは死ではないしP3はどう生きるかの物語じゃないかという話を書きましたが、実際にゲームを終えて思う事は今も変わりないし、EDを見た上でこれはやはり生きる事を描いた物語ではないかと思っているところです。人間である限り終着点としての死はたしかにあるんだけど、だからといって別にそれは全てではないよねという。
何のため、どう生きるかを自覚できるかどうかっていう話だったのかなと今は思っています。日々ただなんとなく過ごしている時間は永遠じゃないってわかってるんだけど、そうして過ごしている間にじゃあ自分は何のために何をしたくて生きているのかを自覚できるかっていうと難しいと思うんですよね。そもそも生きるって生物としての本能だと思うし、理由とか意味とか真剣に考える事って何か大きな切っ掛けでもないとあんまりないと思うんですよね。
そういう所に感情や意志、決意といったものがのったときにその人の生きる事の意味が少しだけ見えてくるのかもしれません。
だから主人公のたどり着いた命の答えはきっとプレイヤーの数だけあってあれはこういう意味だったんですよって明言することは難しいと思うんですけど、そういう前提で私はあれは生きる事を考えるゲームだったんだと思っているところです。
設定資料集では死の疑似体験だというお話は出てるんですけど、それって同時にちゃんと生きる事を描かないと表現できないものだと思うし。
ニュクスアバターとの戦いで人が生まれて何を思いどこへ向かうのかというアルカナの旅をしながら仲間と避ける事のできない絶対の終わりに立ち向かっている時、この場にみんなと一緒にいられた事が本当に良かったと思えたしなんだか非常に誇らしい気持ちになっていました。
そういう気持ちで終わりに立ち向かうの、ああ今自分たちは一生懸命生きてるんだな、生きるために戦ってるんだなってなってニュクス戦めちゃめちゃ良かったよ・・・
なんか初見の時は最後のショックがでかくて放心してた記憶が強くてラストバトルの盛り上がりの記憶がだいぶ薄くなってたんですけど、今回やってみてあれはかなり満足度の高い熱い決戦だったなって思った。
強いて不満を言えばポータブルなので無印にあったアニメシーン全部なかったのがさみしかったなぁ、くらい。EDアニメもなかったしね・・・。
ただアニメがなくなった事で無印にはなかったモノローグ的なものがちょいちょい挟まるので、なんか無印キタローよりポータブルの方が多少人間味を感じるなと思った。
総じてP3P、良かったです。
次はTOSよ!
箱のお返事です。絵文字連打もありがとうございます。
>のきさんのハクノさんが見れるとは! うれしい!
ありがとうございます!ひっそり滅ぼシストやってるのでわかって頂けるの嬉しいですね!!!
ビールはさっぱり飲めない人ですが本楽しみです。