ツイッターがタイタニック状態なので、ならばSNSを見ていた時間で趣味の創作をしようと思って絵を描いています。まあそれ自体は普段と大して変わらないのですが。
あとはツイッターを見てしまうのって要するに情報の点滴が気持ちいいみたいなアレだと思うので、別の場所から何か情報を入れればよかろうよと思って何かひとつ文学でも読もうと夏目漱石の「こころ」を学生ぶりに読んでいます。
夏目漱石は教科書にのっていた「こころ」以外だと母の勧めで小学生の頃に読書感想文用に「吾輩は猫である」を読んだくらいで、「こころ」も「吾輩は猫である」も当時の自分には難しくてよくわからなかったのですが(特に吾輩は猫であるは昭和の頃の古い本で仮名遣いが難しい本だったので小学生の自分にはハードルが高かった)それでも吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生まれたかとんと見当もつかぬ~とういうあの冒頭部分は子供心に随分と気に入っていて、冒頭だけ何度も読んだりはしていました。多分夏目漱石は文体というか、言い回しが好きなんだと思う。頭の中で再生される文章のリズムが気持ちいいんですよね。
ちなみに摂取する情報の選択として文学を選んだのは、単に教養を身に着け良い感じの推しカプ生成できるようにならねえかな~~~~という大変不純の極みの理由です。もうこの時点であたまがわるい。
まあでも私の読書って小学生の頃のシートン動物記ブームから始まりあとは中高の頃に京極夏彦とか麻耶雄嵩とか清涼院流水とかそのあたりのミステリどっぷりって感じだったので、いわゆる有名どころの近代・現代文学ってあまり通ってこなかったんで新鮮ですね。太宰治とか、名前は知っていても実際に読んだことあるのは教科書に載っていた走れメロスくらいです。
シートン動物記も久しぶりに読みたいな。狼王ロボがあまりにも好きすぎて読書感想文を毎年狼王ロボで出していたら見かねた母がいいからロボ以外を読めとあてがった本が吾輩は猫であるだったのでした。小学生にあてる本ではないよと今も思っている。いや面白かったけどせめて読み仮名ふってあるとか文字がもう少し大きいとかそういう本にしてほしかったというかですね。
しかし読書楽しいけど読書してるとアビスが進められない。読書体力が10代の頃に比べると劇的に低下してるからちびりちびりとしか読めないんだ。
京極夏彦とか今はもう1冊ちゃんと読み切れる気がしないですよ。そういう意味では学生の時に読んでて良かった本なのかもしれない。

 

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