欧州のカフェへの憧れがあってこういう絵を描いてしまう。
ヨーロッパへ憧れみたいなものはどこからきているのかはわかりませんが、建築の雰囲気が好きなんだよな。絵を描くときに何も思いつかない時はロンドンの街並みを見ています。
10代~20代前半くらいの頃は欧州への憧れみたいなのはむしろ薄くて、どっちかっていうと九龍城のようなごちゃごちゃとした空間に強烈に焦がれていたものですがいつのまにかそういうものへの憧れは昔ほどの熱量を持たなくなってきました。今も好きは好きなんですけど。
学生さんや若い人と話しててもやっぱり九龍城みたいな雰囲気に惹かれる時期って1回はあるらしく、なんかこうあれはみんな通る道なのかなーとなったりです。
友人と喋りながらずっとツイッターがどうなるんだろうねという話をしています。
ツイッターいよいよ終わりなのかという空気が濃くなってきていて、まあそれでも不死鳥のように復活してほしい所ではあるのですがタイタニックになってから気づけばたしかもう4日目くらいではありますが、現状特にこれといって何のアナウンスもないのでなんとも・・・
周りでも続々と避難所をたてている人をお見かけするので自分も・・・とは思うものの、まあどこもまだまだパンクしてる印象なのでまだ暫くは控えようと思う。
とりあえず「こころ」をちまちまと読んでいるのですが、本当に読書体力衰えたなぁあああーーーーとなっています。
学生時代であれば1日か2日、長くても3日くらいで読み切れていた量だと思うんですけど、今やっと中の11くらいまでです。まあしかし安定して面白いので休憩はさみながらちびりちびりと読み続けています。良い時間潰しだと思う。ゲームは止まるが。
ツイッターを控えよう的なアレで「こころ」を読んで時間を潰しているのですが、こうしていると会社をやめて動けなくなって薬を飲んでもろくに眠りもできなかった時に延々と長野まゆみを読んでいた事を思い出します。
死にたい24時だったあの頃、長野まゆみを読んでいる時だけは私の頭は現実から切り離されていて、なんかこう今にして思うと長野まゆみに救われていたのだなと思うし、アニメでもゲームでも本でも生きている誰かでも、何でもいいからとにかく何かひとつでも好きなものがあるという事は生きていく上で結構大事な事だなと思ったりです。
エンタメでお腹はふくれないし摂取して睡眠がとれるわけでもないのだけど、骨にはなるんだよなという事を感じる年になってきたし10代20代で培った心の感覚というのはきっと死ぬまでそのままいくんだろうなという気がしている。
だから学生さんとかに遊ぶのはやめてとにかく勉強をしろとはちょっと言い辛いなーとテスト前とかに思ったりです。いや勿論勉強は大事だしテスト勉強はせえや!という話なんですけど、それ以外も全ての経験は後の財産になるので。
何の話をしているんでしょうかね。