昨日ばたばたと学校行く前に描いたかまち。日課か。

 

あと学生さんが好きで気になってたぼざろ1巻だけ読んで思ってた以上にめっちゃ青春!!!ってなったのでぼっちちゃん描きたくなったからぼっちちゃん描きました。こっちの絵は時間が使えたので、なんか時間とクオリティそれなりに比例するなになっている。

 

アビスがなんか色々ありました。
瘴気中和のために大勢のレプリカの命を犠牲にした上に、アッシュかルークどちらかが死ねという選択を迫られて本当に!本当にこのゲームは人の心がないな?!!!ってなったり、ルークが中和作業してくれて奇跡的に生き残ってはくれたけどその命も時間の問題という事に。
アクゼリュス消滅のときに自分が死んでみんなが生き返るならそうするって言った彼が生きたいと願えるようになったことも、自分は自分であって誰かの代用品ではないと自立したことも喜ばしいのですが、ここにきて彼に残された時間を思うとどこまで自分の生を生きてくれるんだろうって悲しくなるよ。
あとはアッシュが自立したルークに怒っていたけど、次は君の番なんだな。ここにある陽だまりは誰の物とかじゃなくて、自分で望めば入れるもののはずなんだよ。私はそこに2つ分ぎゅうぎゅう押し込んでこのゲームをクリアしたいけど、カルマがああいう歌である以上まあ・・・そういうことなんだよな・・・
リアタイ当時あのEDを見て愕然とした友人がカラオケでカルマ入れて嗚咽で歌えなかったことをよく覚えているのですが、まあだからつまり・・・そういうことなんですよね・・・と思っている。
マジでなんで私は全ての人が平等に暮らせる世界を夢見て手を伸ばしてつかみ取ったゲームの後に1つ分の陽だまりに2つはちょっと入れないゲームをしているのでしょうか。シンフォニアもわりと人の心なかったけどアビス更に輪をかけて人の心がない・・・。
私は生きる事はどういう事なんかという事を描く上で死を描いたり意識したりする事は避けて通れないだろうと思っている方ですし、人は死に向かって生きていると思っている方だけど生まれて7年の間にぎっちぎちに知識とか経験とか感情とかいろんなものを押し込められて人間になって死を自覚してそこに向かうルークの事をどんな気持ちで見たらいいかわかんねえです。今ようやく彼は自分の人生を生き始めたのにその命はもう消えようとしている。
P3は物語の性質というか生死の描き方といえばいいのかな。そういうのは近いものがあったと思うんですけど、あのゲームは主人公にルークみたいに強烈な自我がなかったのでなんか・・・そういう選択も良いのでは(良くない)と思えたんですけど、アビスはルークが明確に意思を持ってまだ死にたくない怖いっていうから死なせたくはないよ。ならアッシュが代わりに死ねばいいのかとかそういう話ではないし。
はぁ・・・エルドラントに突入してきますわよ・・・多分これが本当に最後の戦いだと思う。