写真を色付きで模写するようになってから色使いというか暗い色の作り方とか扱いがだいぶ変わったなと自分では思っているのですが、今夏前の絵とかを見ると影ほぼないじゃん?!!ってなるので目のレベルはたしかに少し上がったのかもしれません。
結構陰影濃く作ってるつもりだった絵とかも足りないんですよね。暗さが。
ただ濃い色使いになったという事は同時に軽やかさというかなんかそういう可愛さが減る事でもあると思うんですけど、最近は勉強のためにartstationとかをずっと見てて海外の方が描かれるコミックイラストって日本のラノベやゲームなんかでよく見るキラキラした塗りとはまた違うなって。なんというかどっちかっていうとマットな塗りの方が主流なのかなと感じるのですが個人的にはあれって物凄く魅力的に見えるんですよね。
日本のいわゆる萌え絵って私は大好きだしそういうのはずっと意識して描いてはいるんですけど、同時に昔から油彩や不透明水彩っぽい塗りの雰囲気って憧れで。
そういうのが好きで実際にアクリルガッシュを線が潰れるまで塗り重ねる絵を作ってた時期もあったし、それこそ古のフォトショかペインターか時代の頃のペインターで描かれた厚塗りのテイストを持った美少女絵っていうジャンルが物凄く好きなんですよね。そういうの00年代くらいによく見かけた記憶があるんですけど、海外のコミックイラストが人によっては日本の目の大きいイラストに近づいてきた事であれの進化系みたいに感じるなというか。
これ多分伝わらない人には全然伝わらない表現だと思うし私もこの説明が正しいのかはちょっとよくわかんないんですけど。なんといいますか透明感ありつつも不透明な雰囲気にデフォルメのきいた絵があわさってるの良いなーと感じるという話で、そういうのをなんとか少しでも取り入れられないだろうかという事を考えてここのとこは色を塗っている感じです。
ただ今の技術ではこれが自分的に少しは上手くいったなと感じるときと全然ダメだなって感じるときがあって、それも塗り終わるまでわかんないしめっちゃムラがあるので全然安定しません。がんばる。
投稿者: noki
結局また創作絵描いてました。木目描くの面白すぎた。
学校の方でちょっと講師作品として何か持ってきてくださいって言われてるんで連休で創作絵ばっかり描いてたのは、まあ丁度良かったかなと思いつつ。
8月は人物の写真を模写したりなるべくキャラクターを密度高く描こうという方向で練習をしていたので背景をしっかり描く事があんまりない月だったんですけど、今月は全体の設計の仕方や色の勉強のために背景はちょっと意識して描いてて。まあなんていうか圧倒的に気持ちの面でらくというか。楽しいですね。
最近はスマホで絵を見る人が増えたからよりキャラクターに近くて背景の優先度は低めの絵が流行ってるみたいな話を人と夏にしてて、それは最近かなり意識しててキャラクターが大きく描かれている絵は実際好きなんですけど、自分が描いてて面白いのは圧倒的に背景込みのワンシーン的な絵だなというのを改めて感じている所です。スマホ基準だとこういう絵ってもしかしたら見辛いというかパンチ力が下がるのかもしれないんですけど、自分が基本PC閲覧だからその辺はちょっとよくわからない。
流行を追うとかアンテナをそこに寄せていく必要性は感じてはいるのですが、なんていうかそれでも好きなものを描くしかないんだなって思う機会が最近何度かあって。結局それういうのがまわりまわって絵の強さとか魅力みたいなものに繋がるんじゃないかなって。”好き”という感情は強いんですよ、やっぱり。
10年くらい前だったと思うんですけど自分の絵って背景が描いてあるから物珍しさ補正みたいな感じで見てもらえてるだけで、別にキャラクター魅力みたいなものはないし背景抜くと見るに値しない絵を描いてるんだろうなってめちゃくちゃいじけてた事があって、そういう気持ちが払拭できずに抱えてた時間が相当長かったんですよね。
それでも背景のある絵を描くのは好きだったし同時にただの逃げだなと思ってて、結局自分の場合は人に見てもらうためには背景を仕方なく描くしかないんだなみたいな着地をして。それで背景がめっちゃ上手かったらそこで多少自信を持てたのかもしれないけど正直別にそんな上手くないしで。いやまあそれは今もそうなんですけど、なんというか割り切れない辛さというか多分あれは自分でも何を描けばいいのかわかんなくなってたんだと思う。
私が絵を描く行動原理には作業的な楽しさと同時に憧れっていうものが割合的にかなりあって、なんかあのとにかく辛かった時期って今にして思うと人にウケるウケないっていうのを気にし過ぎた結果自分の中の憧れに対してあんまり素直になれなかったとこが多分でかいんですよね。
それは人の絵だったり実在の風景だったり面白かった体験だったり色々なんですけど、基本創作行為ってしんどいものなのでそういう自分の中の感動みたいなものを大事にしないと何をすればいいのかわからないしどんどん嫌になっていく。で、それって多分自分の作る作品の魅力を下げる事に繋がっていくと思うんですよね。
自分の絵を嫌いにならないためにも好きなもの描こうっていうのは思ってる以上に重要な事で、それがあることにより例えば練習するにしても今何が必要なのかとか目標もたてやすくなるし。
というような事をなんか夏からずっと考えている次第です。やっぱ絵描いて反応頂けるのはめちゃくちゃ嬉しくてありがたい事で、実際反応ほしいなーっていうのはいつも思ってることでもあるんですけど、まず自分が潰れないようにしないとどうにもならないよなって。
箱のお返事です
>わんこがかわいいです!!!もふもふしたい…
ありがとうございます!昔家でゴールデン飼ってまして、その子の事を考えながら描いてました。もふもふサラサラでした。
昨日寝不足で2枚描いたやつ、案の定今日見たらウオッ?!ってなるとこはあったけど、まあ趣味しかつまってないのでいいか・・・となりつつ、あれのおかげでいい感じに創作スイッチが入ったので今日もだらだら描いてました。なんかまた早朝に目が覚めちゃったので時間があったという。
1枚目は昨日の絵がキャラ小さかった反省でもうちょっとキャラに寄せた絵を描こうと思って描いたものと、なんかやっぱ背景の面積ばんばん取ったやつ描きたいってなって2枚目を描きました。
もっと画面をキャラの顔にずずいっとカメラを寄せてSNSで映える絵とか描けた方がいいとは思うんですけど、正直それ向いてないしなあっていう若干の諦めとあとはあきらか先月の反動がきているのを感じます。背景描きたい。
これが二次創作とかになると興味の1番の対象がキャラクターなので背景無しキャラ絵とか描き続けてもそれはそれで楽しいんですけど、オリジナルでそれやるのって私はあんまり面白みを感じられないというか。いや面白くないって言うのは語弊があるんですけどね。キャラ描くのは実際楽しいし。背景という作業が入る方がお絵描き作業としては倍面白いといった方が正しいのかも。
明日は主取の漫画描きたいな。いやほんとは今日描くつもりだったんですけど創作絵が面白くてそれやって終わってしまった。
0時過ぎに寝て3時前に目が覚めてそこからずっと眠れずにいたから時間がいっぱいあるので創作絵をもそもそ描いてました。寝不足なんで後で見たらギョッとしそうだなと思いつつ。
あと2枚目をツイッターに投げる時に1枚目の絵を睡蓮って書いたつもりが誤字してて、まあでも創作絵で水辺の絵だしなんか深読みしてもらえるかもしれないなと思ってそのままにしています。特に深い意味はなくてただの寝不足でフラフラしてただけっていう。水面とあとティモテみたいな女の子が描きたかった。ティモテかわいいよね。もう1枚の方は最近だと珍しい創作少年絵です。薔薇の花と薔薇窓でしつこく薔薇をおしてみました。
それにしても昨年から?ずっと夜中目が覚めるのに悩まされてる気がしますけど、薬が増えて入眠はなんとかなるようになったんでちゃんとそのまま寝たいです。なんだろうな。昨日はシンウルトラマンでテンション上がりすぎて眠りが浅かったとかそういうアレかな。映画の余韻がやばすぎてM八七を延々と聴くしかできなかったんで寝る前までずっと聞いてたんですよね。なお今日も延々と流していました。
シンウルトラマンを友人と見てきました。あまりの良さに良かった・・・良かった・・・と繰り返すだけのbotと化してしまった。
良すぎて余韻がやばくて今日は全然絵が描けない。
ここは長らく映画館のない土地だったのですが、最近ようやく映画館ができまして。ただ話題作を話題のタイミングでやるみたいな所ではないのでシンウルトラマンやってくれたら嬉しいんだけどまあここではやらないだろうし映画館では見れないだろうな・・・と諦めていた所に短期で上映の予定が入って今更感はありますが映画館でシンウルトラマンを見る事が叶いました。
ネタバレにならない範囲の事を書くと主題歌のM八七は話題になってたのは知ってたし普通に作業用に流してていい曲だなーと思って聞いていたのですが、シンウルトラマンと言う作品を見た上でEDに入った瞬間にあれが流れるのあまりにも完璧すぎてずるいじゃん・・・ってなりました。EDが流れ終わるまで誰一人席を立たなかったのも印象的でしたね。
追記にネタバレごりごりの感想です。
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各地に散ったみんなの希望の話、カミュ良かったなーと思ったのでそういう絵です。
カミュ、1番大事なものが消えるかもしれないってなったときにその1番大事なものが主人公たちとの旅の思い出で、おまえどんだけ・・・となりつつ、思い出が消えても生きていればまた作れるって思い出を消す方向に行ったのもお前・・・お前ェエエエー!!!
思い出が1番大事なのに、それがまっさらになったとしても生きてまた相棒に出会う方が大事だからそれを選ぶの凄いよ。思い出が消えて誰かもわからなくなるし生きてるかもわからない相手に生きて会うんだっていうこの・・・。
あの後カミュの記憶は本当になくなってるっぽいので今後もし再会したとして彼がどう接してくれるのかっていうのが全然予想がつかなくて、カミュ・・・会いたいな・・・
あとさらっと出てきた妹さんの話も気になる所です。
レッドオーブを取ってきた時に俺には俺の使い方があったんだけどみたいな事言ってたから、それはいいのか?と思ってたんですけどあれって妹さんのために何かしようとかそういうアレだったのかな。
オーブが集まったので命の大樹に行ったら見慣れたあの勇者の剣が中心にあったのですが、背後から来たホメロスとデルカダール王にとりついていたっぽいウルノーガに奪われる流れに。
まだ中盤に差し掛かったくらいだと思ってたので何かイベントが挟まるとは思ってたけど、まさか勇者の剣がそのまま魔王の手に渡っただけでなく魔王の剣に変化させられてしまうとは・・・流石にショックでしたね。なんだかんだいってあの勇者の剣って希望の象徴みたいなものだし。
勇者から勇者の力も抜き取られ砕け散り大樹は力を失い大地に墜落してこれでもかっていうくらいの絶望が世界を飲み込んでしまって、ほとんどの人は生きる気力を失ってしまったけどそれでも何とか出来る事があるんじゃないかってあがく人もいるというのは良かったですね。
各地に散ってしまった仲間たちも無事か・・・どうかわかんない人がちらほらいるけど、少なくともシルビアは諦めない人たちをあつめて希望のパレードをするって言ってたのでシルビアは無事にパレードを進めてるといいな。
大樹が落ちてから絶望に抗う術として”希望”というフレーズを強く押し出されている印象を受けているのですが、希望ってなんだろうなって大樹が葉を失い墜落していったのを見てからずっと考えています。
誰か信じる心とか期待する心とか自らを奮い立たせるものとか、解釈は色々あると思うんですけどあの暗い世界で希望を持って生きろっていうのはかなり難しいし辛い事だと思う。
牢に閉じ込められたハンフリーたちが諦めの心で絶望を受け入れていたのも責められないですよ。人間は弱いから。
ただ強烈な光を見ると人はそこに希望を見出して前に向かう勇気を得るのかもしれないなと何度も立ち上がるマルティナを見て思ったりもした。
各地にいる諦めない人もそういう光を希望と信じて前に進んでいるのかもしれないし、それは最後の砦にいるらしい英雄(多分グレイグのことだと思う)かもしれないし、公演をやめなかったサマディーのサーカス団かもしれないし、そして同時に勇者だの悪魔の子だのと言われ追われ世界を旅してきた主人公たちが各地に灯してきた小さな炎の1つ1つに意味はあったのだと思いたい。人が歩いていくために微かでもいい、どうか道を照らしてくれ。
友人と話していると過去通ってきた好きなジャンルでのパロという話に度々なるのですが、その流れで行くと私の場合は
真!!!(チェンジ)ゲッター九龍~世界最後の日~ とか
九龍妖魔學園紀VS東京魔人學園 – 熱き怒りの嵐を抱いて とか
新九龍妖魔學園紀あばよダチ公!!!
とかになってしまうので助けてほしいなって思いながらスパロボのカットイン見ながら描いてみたのですが、なんか、個人的にはだいぶアリだな・・・って。玄室についた途端にあばよダチ公!!!って遺跡崩壊させて一人で終わらない戦いの次元に飛んでいきそうだよ。でも皆守君は流竜馬っていうよりは神隼人だと思う。置いて行かれる方だよ。
かまちは九龍が仮にロボットものだったら二号機乗りポジだなと思ってるんですけど別に神隼人ではないなあ。
一部セリフを抜き出すとわりと親和性が高いのもこまる